櫛田川下流の左岸に位置する豊原村には江戸時代伊勢参宮街道が通るため旅籠や茶店が多くあった。 慶長13年(1608)藤堂高虎が伊賀・伊勢を領して津城に入ると、豊原村も津藩領となり、享保13年(1728)から豊原村1,117余石のうち969石余が津藩領、残りが和歌山藩領となった。 櫛田川の渡し場ある交通の要所であり、明治2年大指出帳に「渡し船4艘」とある。 「宗国史」によると津藩分豊原村の家数106・人数327。明治2年大指出帳によれば和歌山藩領豊原村の家数38・人数120とある。そして明治15年の家数218・人口1,011。明治22年の家数213・人口1,053とある。 明治32年伊勢参宮街道大櫛神社前から櫛田橋の脇までの200mの間で露店が店を並べる櫛田大市がはじまり、毎年1月25日に開かれ、昭和16年頃まで続いた。 今もこの街道を歩くと、参宮街道の面影が色濃く残っている。街道にそって平入り・格子で軒を連ねた町並は、お陰参りで賑わっていた頃の様子を今に伝えている光景である。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
豊原町の町並 |
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