黒田町から大黒田町を旧和歌山街道が通る。江戸時代はじめは松阪藩領、元和5年(1619)からは紀州藩松阪領となり明治を迎える。 明治2年の大指出帳によると家数199・人数674とあり、穀物以外の産物に木綿・煙草と記されている。 明治16年の家数272(内農業122・商業75)・人口1,077であり、第2次大戦までは農業を主体にした村であった。 魚町などの一部以外は古い町並の殆ど残っていない松阪市で、この大黒田町の一部の旧和歌山街道沿いだけの4〜500mほどの間にどうして古い町並が残っているのだろう。歴史を調べても特別町並と関係ある事柄が見つからない。でも町並は江戸末期から明治にかけての町並がそっくり残っている感じである。それも活きている町並なのである。保存対策を講じれば立派な伝統的な町並がそっくりと残るのであるが。 まあ。この古い町並は、結局は道路拡張などの開発から免れたので、昔の光景がそのまま残ったのだろうと思う。 後世に残したい町並の一つとしての願いを込めてこの町を後にした。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |
大黒田町の町並 |