飯高町の中央部を国道166号線が通っている。この道が和歌山街道と言われ、和歌山と松阪を結ぶもので、紀伊半島を横断し、海上交通に較べて時間短縮に役立っていた。 元和9年(1623)に徳川頼宣が参勤交代の帰りに、この和歌山街道を通り、以後暫く参勤交代路として利用され、波瀬にも本陣・脇本陣が決められた。だが、延享元年(1744)第6代藩主宗直の帰国を最後にこの街道は利用されなくなった。 街道筋は百姓・人足では足りず、助郷はもとより、旅籠の不足、膨大な出費に耐えられず、百姓総中は和歌山街道を通らぬよう嘆願し、以後伊賀越え、船旅となったらしい。 だが、慶応4年(1868)にも紀州藩主徳川茂承の夫人倫宮則子女王が、波瀬の本陣に泊まっている。この時にも勢州奉行を中心とした沿道住民の苦労は大変なものであったようだ。 波瀬村は江戸時代のはじめは松阪藩領、元和5年(1619)から紀州松阪藩領になっている。波瀬宿は和歌山街道の宿場町で吉野(奈良県)から高見峠を越えて伊勢国に入った最初の宿駅で、本陣(中村甚之進)が置かれ、旅籠屋も4軒あった。 明治2年の家数49・人数181とあり、産物は煎茶・串柿・芋・栗・大豆・小豆などであった。 今では国道166線に高見トンネルが出来て、冬の通行止めもなくなり快適に走れるようになった。国道は旧街道を通ることなくバイパスとして造られたので、街道筋の町並は往時のまま残り、江戸末期に建てられた旧波瀬本陣の建物も健在であった。 三重県の歴史散歩 山川出版社 三重県高等学校社会科研究会 1994年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
飯高町波瀬の町並 |
飯高町波瀬の町並 |
飯高町波瀬の本陣跡 |
飯高町波瀬の町並 |
飯高町波瀬の町並 |
飯高町波瀬の町並 |