養老山地南端の多度山の南、東西に流れる多度川の北岸に位置し、東西に長い集落である。古くから多度神社の門前町として発達した町である。 江戸時代は桑名藩領で文政7年(1824)の家数59・人数274であり、作物は麦・稗・栗・綿類を産していた。明治16年の家数73・人数348である。多度神社は上げ馬神事が有名で県指定無形民族文化財である。 東西に延びる参詣道の両側には旅籠や土産物屋が並び繁昌していたであろうが、今は全て店が閉じられて仕舞屋になっていたが、多度神社から少し離れた位置にあった、川魚料理屋や多度豆販売店辺りは、古い町並を形成して、昔のままの姿で営業をされていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |