熊野市という名称は昭和29年に木本町を含む一町七ヶ村が合併して誕生したもので、古くからの称号でない。 慶長6年(1601)の検地帳に木本村と見えるが、江戸時代は木本浦と呼ばれていた。江戸初期の家数99とあり、紀州藩領木本組に所属していた。集落内を熊野街道が通り、往来が盛んで、町場化しており、紀伊続風土記によると慶長16年(1611)野村平之丞代官の時に、東西一町半、南北7町という町割が実施された。 この地では早くから株組織が発達し、魚商人たちは大網株・魚問屋・魚仲買人ごとに強力な株組織を持ち、藩の専売である酒・砂糖・塩などの問屋株や手質業などの鑑札も持ち、熊野街道沿いで大店を持っていたようだ。 慶安年間(1648〜52)の家数900余・漁師200余とある。明治22年の家数703・人数3,419。 今、古い町並みは、旧熊野街道沿いに展開している。切り妻造り平入りで、平屋・中2階建て・2階建てといろいろだが、千本格子・袖壁を残した家屋も見られる。木製の看板を揚げた酒屋さん・呉服屋さんもあり、多くの人で旧熊野街道が賑わっていた当時の面影がそのまま残っている感じの町並であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
木本町の町並 |
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