布袋町(ほてい)は江戸時代には小折村と言われ、明治27年から布袋町と改称された。 江戸期は尾張藩領、小牧代官所支配。小折村は大変大きな村で、村の東部を南北に岩倉街道(柳街道)(名古屋と犬山を結ぶ街道の一つ)が通り、この街道筋に酒屋・味噌屋・油屋・紺屋などの商家があり繁栄していた。 「索麺ナトヲ製シ交易繁昌ノ地ニシテ富戸多シ、又銘酒アリ菊ノ露ト云」とある。 寛文覚書によると家数252・人数1,453。「徇行記」によると全て生駒求馬の知行地で、家数402・人数1,625とある。知行主生駒氏の勧農政策により、農業生産が盛んであった。 今も旧岩倉街道に沿って伝統的な様式の商家の建物が点在している。平入り中2階建てで虫籠窓や千本格子を残した家もあり、繁栄していた街道筋の面影が色濃く残っている。 寛政2年創業の造り酒屋さんにも軒先に大きな木製の看板が揚がっていた。 只、布袋町は大きな地域であり、夕方急いで日が暮れるのと競争で見て廻ったので、布袋町の全部を見られなかったのは残念で、見落としもあるだろうと思う。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
布袋町の町並 |
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