愛知県北西部に位置し、木曽川を隔てて、岐阜県各務原市と接している。 古くからの交通の要衝で、木曽川左岸に犬山城下から一宮に通じる巡見街道、市域の南部には北東から南に犬山と名古屋を結ぶ柳街道(岩倉街道)が通っている。 古知野村には柳街道から分岐し、宮田村に通じる往来が中央部を東西に通り、その道に沿って町並みが僅かに形成されていた。村の広さは東西7町・南北6町ほどで、享保3年(1718)には六斎市が許可された。 江戸期を通じて尾張藩領で、「寛文覚書」によると家数82・人数458とある。犬山扇状地に位置し、砂質土壌のため稲作には不適で、畑作を主にした農業で、茶・桑・大豆・大根・ゴボウ・人参などを主に栽培していた。 また、中世・近世より養蚕が行われ、生糸も作られていた。近世末より始まった製糸業は大正期に入り、近代製糸工場となり、人絹織物の町として発展し、現在では化繊織物産業が盛んである。 今、古知野は江南市の中心部で、中枢部として商店が建ち並ぶ中に、古い伝統的な様式の家屋が点在している。切妻造りの平入り、中2階建ての商家建物だが、今商売されている様子は見られない。 明治24年の濃尾地震で多く家屋は倒壊したので、今ある古い建物でもそれ以後に建てられたものだ。 名古屋市内に一時間以内の通勤圏。古知野は駅前に立地しているために、返って開発に乗り遅れているようで古い形式の家屋が残っているのは皮肉な現象だ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
古知野の町並み |
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