清須市須ヶ口の町並み
須ヶ口・須ヶ口御茶屋
地図


須ヶ口の町並
 清洲同様にこの町も、徳川家康による「清洲越」による名古屋への大移動で、清洲城下町としての賑わいを失って、農村として新田開発された地域である。
慶長14年(1609)11月、家康によって出された名古屋遷府令により名古屋築城がなされ、城下町が形成され、清洲の武士・町人・寺社から橋まで町全体が移転すると言う「清洲越」が行われた。
このためこの地は清洲城下町としての繁栄がなくなり、廃墟となった土地は、農村として数々の新田開発が行われたが、低湿地であるため、庄内川や五条川の氾濫に幾度と無く見舞われ、住民を苦しめた。
江戸期を通じて尾張藩領で清洲代官支配地であった。「徇行記」によると、元禄9年(1696)には須ヶ口村の家数184・人数745とある。
この地には清洲から続く美濃街道が通り、農業と商売を兼ねるものも多く、街道筋の町並として賑わっていた。街道筋にはお茶屋、その裏通りには遊女屋が立ち並び、明治年間まで栄えていた。
今、須ヶ口の町並は旧美濃街道に沿って長く続いている。伝統的な商家の建物も多く、旧街道筋の面影が色濃く残る町並である。
町並は平入り切り妻造り、中2階建て・虫籠窓や格子を備えた家も多く残っていた。
町並み指数 40 
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1989年
  愛知県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年

須ヶ口の町並

須ヶ口の町並

須ヶ口の町並

須ヶ口の町並

須ヶ口の町並

須ヶ口御茶屋の町並

須ヶ口御茶屋の町並

須ヶ口御茶屋の町並

須ヶ口御茶屋の町並

須ヶ口御茶屋の町並
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