この島勝浦集落は湾奥に密集していて、江戸時代には捕鯨基地として有名だった。 江戸時代は紀州藩長島組に属し、慶長検地高目録に「勝浦村」とあり、延享3年(1746)の長島組書上帳に家数64・人数416・船数36(うち鯨船7・鰹船11など)・網数56(うち海老網31・大魚網1・鰤網3・ムロアジ網6など)と記され、漁業集落であった。 江戸時代には波静かな良港のため、廻船の避難港となっていて、安政5年(1856)には公儀御用船も難船して島勝浦に入港している。天保4年(1833)には1月から3ヶ月間でマグロ2万本(2,000両)の漁獲を揚げた。 明治22年の家数121・人数641とあり、明治期から定置網漁業と遠洋漁業が盛んに行われていた。 今でも漁業中心の集落である。沿岸漁業、タイ・ハマチなどの養殖漁業、水産加工などが盛んである。 町並みを歩くと、板張り平入りの民家が細い道に沿って展開している。漁村集落そのものであるが、もう一つ活気が感じられないのはどうしてだろう。やはり高齢所帯が多いためかと思う。 三重県の歴史散歩 山川出版社 三重県高等学校社会科研究会 1994年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
海山区島勝浦の町並 |
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