蟹江町の町並み 
城1丁目・城2丁目・城3丁目
地図


城3丁目の町並み

 蟹江町は濃尾平野の南部、蟹江川下流域に位置する。その中でも今回訪ねたのは蟹江本町と呼ばれていた室町時代からの大村である。
蟹江は蟹江川河口、伊勢湾岸の低湿地にあり、江戸時代は直接海に面していて、熱田・桑名と並ぶ伊勢湾北部の要津であった。
蟹江本町は蟹江川左岸に位置し、古い集落は蟹江川の自然堤防上で、海岸にあった西光寺を中心として点在していた。江戸時代は尾張藩領であった。
「寛文覚書」によると家数355・人数1,587、馬51、漁船62艘を有し、朝鮮通信使通行・お茶壺通行の時には万場船渡へ浦水主とともに舟役に出ていた。文政5年(1822)完成と云われる「徇行記」によると家数724・人数2,920とある。
「尾張名所図会」には、蟹江川では漁商の船が当地に集まり、米穀・野菜も朝夕に交易されたとあり、蟹江川の舟運が最も栄えたのは貞享5年(1688)頃と云われている。
六斎市も享保17年(1732)から開かれ肴市・青物市が立っていて、近郷より人が集まり、諸物資が商われていた。
低湿地で海岸にも近いこの地は幾度も激烈な風水害に見舞われ、その度に多くの犠牲を強いられてきた。最近では伊勢湾台風と昭和36年の集中豪雨であり、それを契機に大排水幹線が完成したが、地域の大部分は海抜0メートル地帯だから、浸水被害から完全に免れたことではない。
この集落の周りでは幹線道路が整備されたり、拡張工事が進められているが、集落内は車が一台やっと通れる程度の道幅である。この道に沿って伝統的な様式の家屋が点在している。
第2次大戦までは、酒造、味醂、刺繍、線香などの特産品が生産されていたので、それらの商家の建物が今に残っていた。
町並み指数 40
参考文献
  愛知県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年
  愛知県の歴史散歩上  山川出版社  愛知県高等学校郷土史研究会  1996年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1989年

城2丁目の町並み

城2丁目の町並み

城2丁目の町並み

城2丁目の町並み

城2丁目の町並み

城2丁目の町並み
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