伊勢市おはらい町の町並み
宇治中之切町・宇治今在家町
地図


宇治中之切町の町並
 伊勢おはらい町は伊勢神宮(内宮)の鳥居前町の通称名で、伊勢参宮街道沿いの約800mに町並を形成している。
内宮の鳥居前に成立した町場を中心とする地域を宇治といい、町場を形成していたのは岩井田(館町)・岡田(今在家町・中之切町・浦田町)であった。
今、今在家町・中之切町・浦田町の伊勢街道に沿ったところをおはらい町通りと呼ばれている。
寛永20年(1643)の内外宮領図によると、家数・人数は今在家町は219・862、中之切町は170・643、浦田町132・674とある。慶応3年(1867)には今在家町に20軒・中之切町には17軒の御師の家があった。
お陰参りは、江戸期に入ると庶民の伊勢参りが一般化し、伊勢講が津々浦々にできた。講員の積立金による代参が多く、御師の家に宿泊し、屋敷内の神楽殿で神楽をあげ、内宮・外宮をはじめ摂末社を廻って参拝した。参宮を終えた人々は精進落としと称して古市で遊んだ。
時には異常な大群衆が伊勢参りに押し寄せた。宝永2年(1705)・明和8年(1771)・文政13年(1830)におこった。50日間で300万人以上もの参詣者であふれかえった。
今、町並には伊勢特有の切り妻や入り母屋造りで妻入り様式の家屋が並ぶ。江戸時代に並んでいたであろう御師の屋敷はもう見当たらないが、土産物店や銘菓の老舗、御食事処、旅館などが軒を連ねる。
只、新しい家屋も伝統的な様式で建てられているので、外観を眺めている限り、古い江戸や明治時代の建物なのか、最近建築されたものかの区別がつかない。中には江戸時代建築の建物もあるだろうが、殆どは第2次大戦後の建物のようだった。
電柱が地中化され、石畳が敷かれて、町並の保全整備が進んでいるようだが、余りやり過ぎないように願いたいものだ。
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参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

宇治今在家町の町並

宇治今在家町の町並

宇治今在家町の町並

宇治今在家町の町並

宇治中之切町の町並の町並

宇治中之切町の町並の町並

宇治中之切町の町並(赤福本店)

宇治中之切町の町並の町並

宇治中之切町の町並の町並

宇治今在家町の町並
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