伊勢市二軒茶屋の町並
神久6丁目
地図


神久6丁目の町並
 伊勢市神久(じんきゅう)は勢田川中流右岸に位置する。
江戸期は神田村といい、伊勢神宮領。村高は神領のため不明で、「元禄郷帳」「天保郷帳」共に高を「不知」と記す。天保年間(1830〜44)の村の広さは東西2町21間・南北半町8間。
大湊・神社(かみやしろ)より勢田川をのぼる参宮客の上陸地であった。明治5年明治天皇の伊勢行幸も、二軒茶屋より上陸したという。江戸末期完成の「勢陽五鈴遺響」によると家数33で、村内に二軒茶屋が記されている。
寛永20年(1643)の内外宮領図の裏書によると神田久志本之分として家数65・人数195とある。明治初期には合併して神田久志本村となっている。
かって、尾張・三河・遠江方面からの参宮客は、海路をとるのが最短コースとあって伊勢湾を横切り、伊勢の町を貫通する勢田川をさかのぼって、二軒茶屋の船着き場に上陸していた。当時この辺りは一面の芦の原で、名物の餅を売る茶店「角屋」とうどんと寿司の「湊屋」がぽつんと建っていたようです。
そこで誰がいうとなく”二軒茶屋”とよび、それが餅の名前にもなったと云われている。
そして二軒茶屋を訪ねて見ると、板張りの伊勢らしい伝統的な様式で建てられた母屋や倉庫・酒蔵・土蔵などが、あちらこちらに建っている。良く見るとどの家屋も「二軒茶屋餅」を売っている「角屋」と関係ある建物のようだ。言葉を変えると、「角屋」の店舗・展示場・醤油味噌醸造場・ビール工場などの建物の集合体で、まるで角屋工場の工場内を歩いているようだった。
町並み指数 30
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

神久6丁目の町並

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