地名としての神社(かみやしろ)港は江戸時代神社村といい、伊勢神宮領であり、神領のため村高は不明で「元禄郷帳」「天保郷帳」にも高は不知と記載されている。 寛永20年(1643)の宗門改帳によると、戸数116・人数542とあり、神社港は宇治山田の外港として発達した。江戸中期の元文年間(1736〜41)に最大の隆盛を見たという。大湊同様に造船業も発達し、海産物を扱う問屋も発生し、土佐屋・内海屋・大塩屋などが軒を並べた。 一方駿河・三河さらに関東からの参宮客が当地から勢田川を利用して参宮することも多く、文化15年(1818)には船宿26軒を数えた。 江戸時代は神社村だったが明治に入り、神社港となり今に至っている。 明治17年この地に共同汽船会社が設立され、名古屋・豊橋と神社港間に外輪旅客船が就航した。明治22年3月24日〜4月10日だけでも乗降客8000人の多くを数え、当地は参宮客で繁栄した。 繁栄した当時の面影は見当たらないが、旅館がこの地で健在なのは船宿の名残でしょう。 切り妻造り妻入り板張りの家屋が続く町並みは伊勢地方ならでは光景だ。 只、伝統的な町並みが残っているのは、小さな区域だったのは残念なことです。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
神社港の町並 |
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