伊勢市古市町の町並み
中之町・古市町・倭町・尾上町
地図


古市町の町並
 古市は江戸期は伊勢内宮の門前町で、間の山と呼ばれる低丘陵上に位置している。
江戸初期には、この辺りに人家は殆ど無かった。庶民の間にも伊勢参りが行われだすと、伊勢講が津々浦々にでき、講員の積立金による代参が多く行われた。代参とは講員の積立金を用いて、伊勢神宮に代表に選ばれたものが参詣するというシステム。
御師の檀家廻りはその伊勢講が窓口となった。参宮者は伊勢路を経て、宮川の渡しをわたり、御師の家に案内され、そこに宿泊し、屋敷内の神楽殿で神楽をあげ、内宮・外宮をはじめ、摂末社を廻って参拝した。そして参宮を終えた庶民は精進落としといって、古市で遊ぶ者が多かった。
時には異常な大群衆が一時期、爆発的に伊勢参りに押し寄せ、おかげ参りと呼ばれた。
このおかげ参りは宝永2年(1705)・明和8年(1771)・文政13年(1830)におこった。その折の人数については本居宣長が「玉勝間」に宝永2年4月9日より5月29日までに362万人と記していて、「伊勢太神宮続神異記」にも370万とほぼ同数あげている。
これらおかげ参りで賑わったのは古市から中之町にかけての間の山地区で、油屋・備前屋・杉本屋という三大妓楼のほか、柏屋・千束屋などの遊郭が並び、天明頃(1781〜89)の最盛期には遊郭70軒、遊女1,000人、大芝居小屋2軒・人家342軒を数え、一大歓楽街となった。
「伊勢参り大神宮へもちょうと寄り」という川柳は当時の盛況を風刺したものである。
そして明治以降の交通機関の変化と山田新町・新道の発展によって、遊郭は衰退し、火災と昭和20年7月の空襲によってその面影は殆ど無くなってしまった。
今、中之町の旅館麻吉に僅かに遊郭の跡が見られる程度ですが、古い町並は古市町の旧街道沿いに、切り妻造り妻入りの建物が連なっていて、かっての遊郭跡を彷彿とさせていた。
町並み指数 60
参考文献
  三重県の歴史散歩  山川出版社  三重県高等学校社会科研究会  1994年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

中之町の麻吉旅館

中之町の町並

古市町の町並

古市町の町並

古市町の町並

倭町の旅館

尾上町の町並

尾上町の町並
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