伊賀市柘植町の町並み
柘植町
地図


柘植町の町並
 上柘植村は東海道の関宿から分かれ、上野を経て奈良に向う加太越奈良道(大和街道)の宿場町として発展した。
江戸初期は伊賀上野藩領であったが、慶長13年()からは津藩領のまま明治を迎える。
村の中央を大和街道が東西に通り。上柘植宿が設けられていた。村は一村に相当する規模の下町・上町・小林・岡鼻・山出・倉部のそれぞれまとまった集落で構成されていた。
寛延4年(1751)編算された「宗国史」によると寛延年間(1748〜51)頃の家数161・人数497とあるが、別の資料によると倉部56・小林41・岡鼻39・上町58・下町48・山出59とあり合計301となり「宗国史」と大きく異なっている。
上柘植宿は上柘植村に設けられた大和街道の宿場で、江戸時代、津と上野の往来が重要でかつ頻繁となった。津藩の藩主や藩士は、津城から上野城への往路は長野越え(旧大山田村)、復路は加太越えを採り、上柘植宿には本陣と問屋、そして旅籠屋が20数軒もあった。藩主の休憩所として柘植公亭が置かれていた。
しかし明治23年関西鉄道が開通すると、急激に衰退したが、代表的な鶴屋、亀屋などは昭和40年頃までその面影を残していた。
「統集懐録」には「上柘植問や 彦六」と記載されていている。これは本陣と問屋を兼業した富田彦六のことであるが。
今、上柘植宿を歩くと、本陣跡の表示もないが、宿場の中程本陣近くにあった枡形のところに、当宿場の説明看板が掲げられていた。そして枡形を中心にして東西に古い伝統的な家屋が僅かに残っている。殆どの家屋は建て替えられているが、それでも宿場町だった当時の名残は各所に残り、落ち着いた古い町並を形成していた。
町並み指数 40
参考文献
  三重県の歴史散歩  山川出版社  三重県高等学校社会科研究会  1994年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

柘植町の町並

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