平田は津城と上野城を結ぶ伊賀街道沿いの宿場町として栄えていたところである。 慶長13年(1608)藤堂高虎が津城に入国し、津城を本城にし、上野城には城代家老を置いた。藩主の藤堂高虎が領内巡見のときには伊賀街道を通ることが多く、また参宮客など加わり街道沿いの平松宿と平田宿は発展し、街道も整備された。 平田は江戸時代はじめは伊賀上野領であったが、慶長13年(1608)からは津藩領となり明治を向えている。上野市古文献刊行会編纂の「宗国史」によると家数176・人数729とある。寛文7年(1667)から伊賀八宿の一つとして商売が許可され町場化が進行した。明治初年の戸数159。明治22年の戸数160・人口776とある。 今、典型的な街村をなし不思議なほど多く当時の面影を残している。電柱がなければ全く江戸〜明治時代にタイムスリップする町並である。 中2階建て平入り、切り妻つくり格子戸の伝統的様式の町家が連なる。どうして現代までこの様に多くの伝統的様式の家屋が残ったのだろう。鉄道から一切見放され、幹線道路からも見放された結果だろうか。古い町並を紹介する各種の文献・本などが存在するが、この平田が紹介されているのは見たこともない。でも現実に文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に匹敵するだけの古い町並を残している。ある程度の保存対策を講じて、何時までもこのままの町並が残って欲しいものである。 三重県の歴史散歩 山川出版社 三重県高等学校社会科研究会 1994年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
平田の町並 |
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