伊賀市平松の町並み
上阿波
地図


上阿波の町並
 伊賀街道(現国道163号線)の長野峠の西約4kmのところが元町である。江戸時代初期にはここに上阿波宿があり、津藩藩主の伊賀巡視のための休憩所が設けられていた。
ところが上阿波宿は再三大火の災難に遭った。万治元年(1658)・天和元年(1681)・元禄7年(1694)・元禄8年(1695)・元禄9年(1696)などの大火のため、ついに津藩は上阿波宿を西1.3kmの平松に移し、同時に本陣・問屋も移して平松宿を開いた。
江戸時代の初めは伊賀上野藩領であったが、慶長13年(1608)からは津藩領のまま明治を向えている。「宗国史」によると家数271・人数1,111とある。
藤堂津藩主は津城を本城とし、上野城には城代家老を置いた。藩主が伊賀巡見のため上野城に向う時にには長野峠越えの道を通ることが多く、平松宿で休憩するためにお茶場も設けられていた。
平松宿には火除けの土塁が築かれたが、延享元年(1744)の大火では宿が全焼している。その後も大火が絶えず、今の古い伝統的な建物は明治16年・明治23年の大火後に建てれた建物であるが、典型的な街村をなし宿場町当時の面影を色濃く残している。
関西鉄道が明治23年に開通して宿場が衰退し、国道がバイパスになって町並の東側を通り、宿場町がそのままチルド保存された状態のために、当時の町並がそのまま残ったのである。
中2階建てよりなお低い「つし2階建て平入り」の建物が連続して建ち並ぶ景観は見事なものであり、地元住民と自治体に保存の対策をお願いしたいものだ。
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参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58年
  三重県の地名  平凡社  下中邦彦   1983年   

上阿波の町並

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