東浦町緒川は知多半島の基部、境川下流右岸に位置する。 中世 文明7年(1469〜87)に水野貞守が小河城を築いたといわれ、この地を支配していたが、慶長11年(1606)緒川城主の水野分長が三河新城に転封し、以後尾張藩領となり鳴海代官支配となる。 当地では江戸期に新田開発が積極的に行われた。新田の多くは海岸干拓によるものである。特に江戸中期になると、尾張藩も財政が苦しくなり、豪商や豪農による新田開発を奨励した。緒川新田はその代表的なものである。 緒川では農業が生業だが、その他のものとして、酒造・製塩・製糖・綿織物業などがあげられる。特に酒造業は農業技術の発達と新田開発によって増加した米の利用法として発達したものと思われ,正徳年間(1711〜16)以降7軒の酒造家がいた。また入り浜式の塩田もあり生産量も多くを見られた。 「寛文覚書」によると家数253・人数1,470とあり、「徇行記」には家数438・人数1,885とある。 知多半島東岸を南に向かうJR武豊線緒川駅の西側を通る国道366号線の更に一本西側の旧道に沿って町並みは展開していた。黒い板囲いの家屋が連なる。この黒い板囲いは伊勢湾沿岸特有のもので、昔は魚油や煤で造られた塗料だったが、今は光沢の無い化学塗料が用いられているようだ。 純農村だったのだが、一部には酒造や製塩での豪商も居たようで、黒い板囲いの建物で囲まれた大きな屋敷の豪勢なお宅も多く見られる。 愛知県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 |
緒川の町並み |
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