蒲郡市三谷町の町並み 
三谷町
地図


三谷町の町並み

 三谷町は蒲郡市街から東に約5kmのところに位置している。三谷温泉で名が知られているが、八劔神社との関連が深い。当地に在る八劔神社は、平安末期以前に勧請され、熱田神宮と関連をもっている。
慶長6年(1601)深溝藩領、慶長17年(1612)旗本松平庄次郎清昌領となって明治に至っている。
三谷村は浦方と町方の性格をもち、元和6年(1620)から正徳2年(1712)の間で14回に亘り紀州藩のために伊勢松阪と三河吉田間を小越船15隻と船頭45人の調達を公儀より命じられている。享保7年(1722)には持ち船23隻と船頭68人がいた。天明年間(1781〜89)には領主松平氏の年貢米運搬を担当していた。そのようなことから三谷港は漁港ではなく、荷積船の港として性格が強かった。
天保3年(1842)の家数583・人数2,835。文久3年(1863)頃の家数は550〜600軒で塩田はなく、廻船35隻、大小の漁船20隻、街道沿いの店87軒とあり、主力は農業であったようだ。
明治5年の船数は60石以上12隻、60石以下19隻、漁船22隻である。
三谷の漁業が発展するのは明治中期以降である。
酒造は天保年間(1830〜44)から嘉永年間(1848〜54)にかけて酒造家が6人いた。明治5年には酒造家は8人、醤油醸造3人、味醂造5人を数えていて、機織業も盛んであった。
さて、古い町並みを期待して訪ねたが、殆ど古い町並みらしいものがない。辛うじて八劔神社の近くにそれらしいものが。後で調べると国道23号線沿いに古い町並みが展開しているようで、私は最初から国道沿いには無いと思い探さなかったのが最大の失敗のようだった。
町並み指数 20
参考文献
  愛知県の地名   平凡社   下中邦彦   1981年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1989年

三谷町の町並み

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