ここ伊勢路村は初瀬街道(伊勢表街道)筋の宿場として賑わった宿場町であった。 難所の青山峠を控えた宿場町として栄え、20戸程の旅籠があった。 江戸時代はじめは伊賀上野藩領であったが、慶長13年(1608)からは津藩領になり、そのまま明治を向えている。家数・人数は寛延年間頃(1748〜51)に84戸・316人。明治5年には83戸・351人とある。 村内に初瀬街道(伊勢本街道)が通り、それに沿って街村が形成され、青山峠を控えた宿場町として賑わいを見せていた。特に江戸中期以降、伊勢神宮への集団参拝が盛んになり、伊勢路宿も活況を呈し、幕末期には20軒近い旅籠と茶店・酒屋があった。また青山峠には春から秋にかけて村民が交代で茶屋を開いたという。 町角には文政11年(1828)銘のある大常夜灯が往時を偲ばせ、旧旅籠の中には伊勢講中看板を残した家もある。 この旧伊勢路宿の集落は廻りの農山村集落と異なり、宿場町や商業町の特徴の街道に沿って平入り切り妻造りの家屋が並んでいる。かって賑わっていた宿場だということが理解できよう。でも今では極少数の家が小売商を行っている程度で、殆どの家が仕舞屋になり、鄙びた町並を形成していた。 町並は平入り・妻入りが、又切り妻造り・入り母屋造りが、中2階建て・2階建てが混在する町並であるが、それでいて僅かに湾曲した旧街道に沿って並ぶ家並みは古い町並として最高の評価に値すると思う。 町並保存の動きはないようだが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されても不思議でない町並で、早く保存対策を講じて欲しいものだ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
伊勢路の町並 |
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