阿保村は大和と伊勢を結ぶ初瀬街道(伊勢表街道)が通り、更に上野街道や八知街道が分岐する交通上の要地であった。 江戸時代初期は伊賀上野藩領であったが、慶長13年(1608)からは津藩領となり明治を向えている。家数・人数は寛延年間頃には157軒・608人。明治5年には188軒・851人。 天正13年(1585)筒井定次が入国すると、名張・阿保および平田(現大山田村)に与力を配して支配態勢を整えている。慶長13年(1608)に入国した藤堂高虎は上野・名張・阿保以外での商売を禁じたので、阿保では初瀬街道の宿駅と同時に商業地としても栄え、初瀬街道沿いの街村には宿屋・茶店や商人の家が並んだ。 阿保宿は阿保村に設けられた阿保越参宮道の宿場で名張ー蔵持ー新田ー七見峠ー羽根ー阿保まで二里半。阿保より岡田ー下河原ー伊勢路まで一里となっている。 特に江戸中期以降、伊勢神宮への参詣が盛んになると、団体の参詣客で街道筋は繁栄の度を加えた。今でも参宮講看板を残す旅籠が残っている。しかし隣宿で青山峠手前の伊勢路宿に比して旅籠は少なく4軒ほどであったが、商業地として賑わっていたようだ。 今でも宿場当時の面影は色濃く残り、大きな伊勢大神宮の常夜灯が鎮座している。古い町並は切り妻造り平入りの商家の伝統的な様式の建物が連なるが、かってのような商家はなく、仕舞屋になっている。それでも中二階建・二階建ての伝統的な家屋が続く町並は、宿場町・商業町だった当時を偲ぶのに十分な要素を備え、当時の雰囲気を醸しだしている。 三重県の歴史散歩 山川出版社 三重県高等学校社会科研究会 1994年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 三重県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
阿保の町並 |
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