JR山瀬駅近くは江戸時代には山崎村といい、当地域一帯の行政・経済の中心地として発展した。 中世には山崎忌部神社の祭礼に伴う市で、山崎の市といわれる市が立っていた所である。麻殖郡の山間部と吉野川の上流域と下流域の結節点に当たり、古くから相互の物資の交流の場となっていた。 山崎村は江戸時代は徳島藩領で、藍作が盛んに行われていた。文化4年(1807)の棟付帳では家数338・人数1,561。郡村誌によると家数447・人数2,052とあり、主な産物として米の他に葉藍・麦・栗・芋・甘藷・藍玉等があり、民業は農業360・商業50・縫職営業(女)50であった。 明治に入っても藍作が盛んに行われていたが、明治末期にドイツ化学染料の輸入で大打撃を受け、大正初期には壊滅状態になった。そして藍作に代わって出現したのが養蚕であった。大正初期から昭和初期にかけて藍畑が桑園になり、養蚕が盛んに行われたが、戦後の化学繊維の発達によって衰退し、桑園が水田となっていった。 明治24年の家数548・人数2,785とある。明治32年に徳島鉄道(元JR徳島線)が開通し、山瀬駅が開設され、旧伊予街道に沿って山崎商店街が出現した。昭和3年の山崎商店街には雑貨6・旅館飲食8・菓子9・薬屋5・自転車2・衣料4・八百屋乾物5・金物2・外に小物・おもちゃ・醤油・青物・道具・魚・石屋・履物・理髪・印刷・時計・畳屋などがあった。 今、古い町並は旧伊予街道筋に沿って展開している。昭和初期のように多くの商店が並んでいるわけでないが、過ってこの地域の経済の中心地で商業活動が活発だった頃の面影は色濃く商家の建物に残っている。虫籠窓を残し本瓦葺きの家屋があったり、広い間口の平入りの建物があったりと、古い町並みを形成する要素は多く残っていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 香川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989 |
山川町山瀬駅近くの町並 |
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