岩松は旧津島町西部の岩松川河口にある集落である。 近世は宇和島藩津島組に属していた。訪ねたこの辺りの藩政期は岩松港(河川港)として繁栄していた所で、津島郷の物資集散地として栄えた港町であった。藩政期の主な集荷物は山間地からの木炭、臨海地からのハゼ・鮮魚などであった。 岩松町の大庄屋小西家は酒造・醤油の醸造・製蝋などで財力をつけ、岩松港に面して屋敷があり、ここから千石船も発着したそうだ。 「大成郡録」では家数38・人数241とある。「西海巡見志」では家数20、遠干潟とある。 天保5年(1834)の宗門人別は、芳原村ともで家数157・人数767とある。 「宇和郡地理全志」によると家数370・人数1,458とあり、明治37年の家数506・人数2,489となっている。 藩政期には物資の集散地として、繁栄し機能していた河川港の岩松港も、河口の土砂の堆積が著しく、港としての機能を消失していった。明治から大正期の岩松港は下流の湊町に移されたが、その港も土砂の流失で機能を失い、岩松港は北にある近家に機能を移され、そこに通じる道路が開通したことにより、岩松港は消滅していった。 今、岩松を訪ねると、岩松川に沿って町並みが残っているが、ここが港だったとはとても想像できない。 獅子文六の「てんやわんや」の舞台となった町並みはそのまま残っている。道に沿って2階建ての家屋が多いのは、明治期から大正期の建築が多いのだろう。旅館だったと想像できる家屋もあり、町並みから造り酒屋や醤油屋・米屋・呉服屋など古い町並みを構成する商家が在ったであろうことは想像できる。 豪商小西家の家屋も一部残り、この町並が評価できるのは、家の外壁に板や木材が多く使われていることで、現代的な建物が町並みに少ないことが一番だと思う。こんな忘れられたような古い町並みが何時までもこのまま残ってほしいものである 「てんやわんや」という文六餅まで売られていたのは余録としてまあいいか。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 愛媛県の歴史散歩 山川出版社 愛媛県高等学校教育研究会 1996年 |
岩松の町並み |
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