内子町大瀬中央の町並み 
大瀬中央
地図


大瀬中央の町並み
 内子町大瀬中央は内子市街の北東約7km〜8km程の所で、肱川の支流、小田川の中流域の南北両岸を占めるが、今回訪ねたのは北岸。
江戸時代を通じて大洲藩領。元文5年(1740)の「大洲秘録」には土産は米・大豆・紙・鮎と記されている。
大洲藩領内で、名産品の紙を漉くのは、内子・五百木・立山・大瀬・城廻・袋口など多くの村で漉かれていた。藩では紙を専売制にして、民間での取引を禁止し全て役所に納入させていた。
宝暦12年(1762)の「紙御役所御仕法旧記」には、大瀬の半紙漉き業者は465人圧倒的に多く、五百木155人・立山181人・村前127人・城廻115人・袋口102人・川中82人・河内73人・論田72人・知清16・内子14など、内山地区は合計1400人で、大洲藩領全体の62%を占めていた。
明治初年の「伊予国喜多郡地誌」によると、村の広さは東西1里20町余り・南北4里26町、家数776・人数3,168で、うち農業661・商業91・工33・雑27等で、内山最大の紙漉きの村で、経済活動の中心地であった。
内子から山中に7〜8kmも入った山間地に、かなりの規模の街村で商店街を形成しているのは、近隣の村々の入口的な所に位置していたのと、紙漉きでの物資経済の発達があったためと思われる。
この町を訪ねたときの第一印象は、古い町並みが見事に整備されていたことである。綺麗になり過ぎた感があるが、現代風に建て替えられるより遥かによく感じられる。
町の方に聞くと平成19年から5年計画で、国の政策に基づき都市再生整備計画を策定して、実施しているので整備が進んでいるのだそうで、聞いた方は魚屋さんでしたが、表側は全てやり直したとのことでした。
ノーベル文学賞を受賞された、大江健三郎さんの実家が最初にこの整備計画に基づいて、家を綺麗にされたので、皆さんそれに倣って整備が進んだと話されていました。
町並み指数 50
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和56年
  愛媛県の地名  平凡社  下中邦彦  1980年

大瀬中央の町並み

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