つるぎ町半田の町並み 
半田
地図


半田の町並み
 つるぎ町半田は東流する吉野川右岸、北流する吉野川支流の半田川の合流点南側に位置し、半田素麺の生産地として有名である。
江戸期を通じて徳島藩領。
半田村は吉野川の川湊である小野浜を有し、半田川流域を背後地に持つ、いわゆる谷口集落として機能し商業活動が盛んであった。江戸期後半以降は漆器製造や素麺製造などの手工業が発達し、多くの富裕商人を輩出した。
明暦2年(1656)では家数110・人数276。享保9年(1724)では家数208・人数529。「阿波志」によると家数242。幕末の安政3年(1856)では家数368・人数984を数えている。
川湊小野浜の船数は宝暦8年(1758)には13艘、明治に入ってからだが明治11年には40艘を数えていて、商業活動が活発だったことが伺える。
商業の発達した地域は吉野川南岸を東西に走る旧伊予街道沿いと、半田川に沿って南下する街道に沿って富裕な商家の建物が並んでいた。
半田漆器は半田川上流にいた木地師の影響で、天和年間(1681〜84)に始められたと思われるが、遅くとも18世紀初め頃には当地で漆器生産が始まっていた。宝暦8年(1758)には当地の豪商敷地屋(大久保家)の一族敷地屋利兵衛が塗物業を開き、本格的な漆器生産が始まっている。
一方半田手延素麺は天保4年(1833)に敷地屋(鬢付屋)長兵衛が始めたもので、適度に湿気を含んだ冬季の冷たい季節風と、鉄分の少ない良質の湧水に恵まれて、三輪素麺より太くて腰があり、市場での人気が高かった。
漆器・素麺の他にも当地は物資集散の機能を持つ在郷町として発展していた。
今でも古い町並みは、旧伊予街道沿いと、半田川に沿った街道筋に展開している。主として古い町並みは半田川右岸に見られ、かって漆器と素麺で潤った当時の大型商家の重厚な建物が点在している。それらの本瓦葺きの建物は見るものに威圧感を与える貫禄が漂っている。
町並みの統一感はなく、妻入りであったり、平入りであったりする。古い建物は本瓦葺きであり、ナマコ壁の土蔵も見られた。
町並み指数 40
参考文献   
  香川県の歴史散歩  山川出版社  香川県の歴史散歩編集委員会  1996年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和61年
  徳島県の地名   平凡社   (有)平凡社地方資料センター   2000年

半田の町並み

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