土佐市高岡町は高知県のほぼ中央、高知市から南西約15kmの仁淀川下流右岸に位置する。 慶長6年(1601)山内一豊が土佐に入国し、近世村が編成される中、中世から繁栄していた高岡の町場集落は、幹線の中村街道に沿うという好条件から急速に発達し、江戸中期以降は群下屈指の在郷町に成長した。 近世村を踏まえて野中兼山の開発事業がすすめられ、承応3年(1654))から天和3年(1683)に亘る鎌田井筋工事や、波介川流域の滞水の排除工事が完成し、高岡平野の水田生産力が飛躍的に高まり、同時に製紙業がはじまった。この鎌田井筋による水田化と和紙の製造は高岡を在郷町として飛躍的に展させたもので、和紙製造は現在も続けられている。 寛保3年(1743)の郷村帳では、家数779・人数3,162。享和元年(1801)の「西郷浦山分廻見日記」によると家数890・人数3,860余りのうち郷町商人110余りと、水利の開発は郷村の発展と在郷商家の繁栄をもたらした。産物は伝統の鋳物・農具・紙の他、酒・醤油・麹・日用雑貨なで多品目に亘っていた。 そして昭和7年頃の資料では家数1,742・人数8,526で、主要産物は肥沃な耕地の農産物と豊かな水資源による和紙であり、昭和に入っても和紙の製造を主産物とした、この地方の経済の中心地であった。 現在残っている古い町並みは、旧中村街道に沿って、丁度町の中心地の市役所の裏辺りに展開している。中2階建て、平入り・妻入りの建物が入り混じった町並みである。土佐特有の水切り瓦の備わった家、虫籠窓を残した家もあるが、国道55号線は旧中村街道を避けて設置されたが。商店街として残ったために、中2階部分を覆う看板が多く、町並みとしての評価は必ずしも町並の割には良くない。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名高知県 平凡社 下中邦彦 1983年 |
高岡町の町並み |
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