土佐市宇佐町の町並 
宇佐町宇佐
地図


宇佐町宇佐の町並

 土佐市宇佐町宇佐は高知県中部、土佐湾のほぼ中央、仁淀川河口西方に位置する。
江戸期、宇佐村は郷方と浦方から成り土佐藩領。村高は寛永検地帳573石余、寛文7年(1667)の郷村石付でも同高。寛保3年(1743)の郷村帳561石余、「天保郷帳」783石余。
寛保3年(1743)の郷村帳では家数654・人数2,990、馬55・牛1、船34、塩浜6。天和3年(1683)の浦々水主船数定書によると、水主数529、船数77で船種は九反帆3、八反帆3、5枚帆1、4枚帆4、漁船66とあり、漁業での発展が著しく、水主数・漁船数とも領内第2位であった。しかし家屋が密集し用水の乏しい浦分にとって大火災が頻繁に発生し、貞享元年(1684)では144軒、翌貞享2年(1685)87軒、享保3年(1718)271軒が焼失している。また地震津波も宝永4年(1707)には400人程の溺死者を出し、安政元年(1854)にも大きな被害を出している。
「南路志」(高知県立図書館出版)によると、郷分の家数115・人数656。浦分は家数453・人数2,243、船は市艇11・小市艇4・生魚漕船20・鰹船28・餌取船28・えそ釣船9・手操船2で、漁業の中心は鰹釣漁で「西郡廻見日記」には鰹船33艘があると記載されている。獲物は鮮魚のまま高知城下に運ばれたり、鰹節に加工された。これらの漁法などは近世前期に、紀伊や阿波の漁民が宇佐浦を漁場として、大網漁に従事して、漁獲法や水産加工の進歩に貢献したものである。
町並は一番海岸沿いを走る県道23号線から北側2本目の道沿いに展開している。伝統的な様式で建てられた家屋も多く見られ、妻側の白漆喰塗り壁に水切り庇を設けた、この地特有の家屋も多く残っている。今では静かな住宅街になっているが、少し前まではこの地域の商業の中心地として賑わっていた、商家の建物がそのまま残る町並であった。
町並み指数 30
参考文献  
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和61年
  日本の地名高知県  平凡社  下中邦彦  1983年


宇佐町宇佐の町並

宇佐町宇佐の町並

宇佐町宇佐の町並

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