土庄町土庄の町並み 
土庄甲
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土庄甲の町並み
 土庄町役場のある辺りは正式には土庄甲という地域ですが、一般には土庄本町とも前島とも呼ばれている土庄町の中心地です。
土庄村は小豆島本島の淵崎村との間にある海溝によって本島から独立した鹿島(通称前島)に位置している。
宝暦明細帳によると、土庄村には土庄・大木戸・鹿島の三集落があり家数591(土庄407・大木戸76・鹿島108)・人数2,935(土庄1,941・大木戸412・鹿島582)であった。職業別では塩屋塩浜持4・大工4・素麺屋48・商人8・問屋1・鍛冶屋2・桶屋3・漁師13・紺屋1とあり、素麺業者が如何に多かったかが判る。
(参考までに、淵崎村は宝暦明細帳で家数198・人数1,052であるが、天保9年(1838)に代官所が淵崎村に設置されて政治の中核になっていた)
土庄村は好漁場を控えて漁業も盛んであり、当地の廻船も各地に出かけて、素麺・塩などを売り、干鰯を買い込んでいたことが記されている。
土庄村が大きく発展したのは、明治11年に小豆郡役所が置かれて、島内行政の中心となり、銀行や商店が土庄に集中し、小豆島の交通の要所となったことが大きな要因となった。
土庄港は小豆島最大の港として発展し、高松・岡山・宇野・阪神との間のフェリー・高速艇・客船が連絡して年間乗降客は平成17年で年間170万人を越えている。
さて、土庄の町並であるが、この土庄本町の町並は漁師町には違いないが、少し変わっているのです。漁村特有な狭い路地のような道も、傾斜した土地なら迷路のように左右に屈曲し、平坦地では比較的規則正しく町割りされるのが普通ですが、ここ土庄は平坦地であるのに迷路のように細い道が左右に曲がりうねっている。そして町中に「迷路のまち」と案内標識がある。その案内によると、南北朝時代の南朝側の佐々木信胤と北朝方の細川氏との戦いの攻防に備えて迷路のような路地を形成したもので、全国に現存する数少ない迷路の一つだそうだ。
町並を構成する家は、瀬戸内特有の本瓦葺きで伝統的な様式の家屋もいくらか残り、路地の町並と相まってなかなか良い雰囲気の古い町並を醸し出していた。
町並指数  40
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  香川県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1989
  香川県の歴史散歩  山川出版社  香川県歴史散歩編纂委員会  1996

土庄甲の町並

土庄甲の町並

土庄甲の町並

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土庄甲の町並

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