徳島市鮎喰を訪ねる途中で、古い街道筋を見つけて訪ねたのがこの北島田町です。 古い街道筋と見たのは旧讃岐街道で、旧街道に沿って古い町並みは僅かではあるが展開していた。 島田村は江戸時代は徳島藩領。島田村の土地は湿地で畑作に適さなかったが、当村庄屋吉左衛門によって元禄年中(1688〜1704)に袋井用水が完成した。これによって畑作及び米の裏作として麦・藍・菜種などが増産された。元文5年(1740)の藍作見分記録によると、反当りの藍葉の収穫量は平均25貫・上作35貫。 文政5年(1822)の名東郡村浦男女数改指上帳によると家数176・人数689。明治24年の家数367・人数1,655とある。明治の中期頃より藍作に代わり養蚕が盛んになった。 島田村は伊予街道と讃岐街道の分岐点で、今回訪ねたのは讃岐街道沿いの町並である。 古い町並と云えるほど町並は残っておらず、僅かに旧街道筋だなと感じられる雰囲気が残る程度だった。それでも長屋門のある大きな伝統的様式の家屋があったり、本瓦葺きの中2階たてや平屋建ての建物が点在していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 香川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989 |
北島田町2丁目の町並み |
北島田町2丁目の町並み |
北島田町2丁目の町並み |
北島田町2丁目の町並み |
北島田町1丁目の町並み |
北島田町1丁目の町並み |