江戸期以来この付近は現在の庄町と合わせて佐古郷町と呼ばれ、旧伊予街道筋であった。 徳島城下西端に位置し、伊予街道沿いに佐古町がある。北と東を武家地佐古に囲まれ、町屋として発展していたが、ここ佐古郷町辺りは未開発地であって、伊予街道が通っていただけであった。 それが17世紀後半から、佐古町を外れ鮎喰川近くの伊予街道に沿って商人が集まり、その商業活動が市中の商人を圧迫するほど成長してきたので、そこでの商業活動を禁止して欲しいとの願書が出されている。そして、元禄6年(1693)には佐古郷町は二軒屋町・助任郷町・福島郷町と共に、町方支配に編入された。 当時の佐古郷町の家数は112軒と多く、佐古5丁目から鮎喰川の土手までと広範囲の地域であった。その後も順調に発展を続け寛政元年(1789)には佐古郷町は家数が583・人数2,211を数えるまでに膨れ上がった。町並みは伊予街道沿いに延び、同街道から北へ分岐する大麻街道から同じく北に讃岐街道が分岐する蔵本村境三ッ合まで家が立ち並んだ。寛政4年(1792)の仕置家老の下知書には郷町が繁栄するあまり市中が衰微するとまで書かれている。 今でも古い町並は旧伊予街道沿いに展開していた。中でも庄町5丁目から鮎喰1丁目にかけての旧伊予街道に沿った町並は、伝統的な様式の家屋が続き見応えがあった。造り酒屋さんも健在で古い町並みの中心的な役割を果たしていた。 切り妻造り平入りで、中2階建てや2階建、袖壁や袖卯建を備えた家、虫籠窓を残した家、千本格子を備えた家などが、伝統的町並を構成する建物の様だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 香川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989 |
庄町5丁目の町並 |
庄町5丁目の町並 |
庄町5丁目の町並 |
鮎喰町1丁目の町並 |
鮎喰町1丁目の町並 |
鮎喰町1丁目の町並 |
鮎喰町1丁目の町並 |
鮎喰町1丁目の町並 |