オリーブと醤油の島として名高い小豆島。その中でも苗羽(のうま)には丸金醤油を初めとして佃煮屋さんが軒を並べて、醤油の芳しい香りを漂わせた町であった。 苗羽村は宝暦年間(1751〜64)小豆島明細帳によると家数165・人数1,235。「小豆島風土記」・「天保9年(1838)小豆島明細改記略」共に家数240とある。 苗羽村では江戸期中頃までは塩田が作られており、塩が生産されていたが、製塩業の衰退と共に醤油醸造業が起こり、当村でも文政年間(1818〜30)には数軒の醸造家がいたようだ。この醤油生産は文化年間(1804〜18)に紀州有田から製法が伝わったと言われている。 又内海湾では鰯網の漁業が行われると共に廻船業も盛んであって、塩や素麺などは九州・山陰から東北方面まで、醤油は大坂へ移送し、発展の下地を造った。 醤油醸造業は明治に入ってから更に発展し、醸造家14も数えることとなった。明治24年の家数296・人数1,438。そして明治30年代からは一段と発展し、丸金醤油など大手の会社も当地に集中した。 第2次太平洋戦争後にはこの醤油を利用した佃煮業が起こり、今では醤油を上回る業績を上げている。 苗羽の町並は丸金醤油と佃煮屋さんの工場・倉庫群によって形成されている企業町並である。町並を歩くとまず最初に気づくのは、醤油の芳しい香りである。醤油醸造時のモロミの香りは少なく、佃煮製造時にでる醤油の香りが訪問者を迎えてくれる。 町中に「醤」と書かれた大きな醤油樽が並べられていて、醤油の町を表現していたが、その辺りの香りは佃煮屋さんの香りであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 香川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989 香川県の歴史散歩 山川出版社 香川県歴史散歩編纂委員会 1996 |
マルキン醤油資料館 |
マルキン醤油工場 |
マルキン醤油の横の道 |
マルキン醤油工場 |
マルキン醤油工場 |
国道沿いに醤油樽に醤(ひしお)と書かれた樽が置かれていた |
町中の佃煮屋さんからの醤油の臭いが強かった。 |
佃煮屋さんの町並 |
佃煮屋さんの町並 |
佃煮屋さん |