宿毛市沖ノ島町弘瀬の町並み 
沖ノ島町弘瀬
地図


沖ノ島町弘瀬集落
 高知県宿毛市沖ノ島弘瀬は、宿毛湾の入口、太平洋に浮かぶ沖ノ島の南部に位置する。
江戸期は土佐藩領。村高は寛永検地14石余、寛保3年(1743)の郷帳類、「天保郷帳」でも同高。元禄地払帳によると、本田14石余は三浦助左衛門知行。「土佐州郡志」によると、「沖之島弘瀬浦」として見え、家数76、船15。寛保3年(1743)の郷村帳では家数40・人数132。享和元年(1801)の「西郷浦山分廻見日記」によると「沖ノ島浦」として見え、庄屋は又八・市兵衛、家数40・人数170程度。「南路志」によると家数35・人数264。天保年間(1830〜44)の浦々諸縮書では、鰹漁船5、諸漁船6、諸網6で漁業は鰹・引網・小漁。漁間渡世は畑作り、家数77・人数302とある。
又当地は山が険祖で岩が多く、波は常に高く荒れて着船することが容易でないといい、四季を通じて西風が吹き、とりわけ冬期には30日ほど渡海ができないとある。さらに民家は石を壁にした家造りで非常に低いとある。
庄屋ははじめ三浦氏が世襲したが、安永2年(1773)からは山岡氏となった。
この弘瀬には宿毛港の片島から約1時間ほど市営の連絡船に乗ってやってきた。集落には平地が殆ど無く山の斜面に石段・石垣を造って民家が階段状に建ち並んでいる。石段や石垣の石は花崗岩で弘瀬地区では灰色の花崗岩である。集落内の道は人がすれ違うのもやっとの幅で、すべて階段か急傾斜の坂道。見事に積み上げられた石垣だが、最近はこの島に石工がいなくなったようで、石垣の補修が大変だと聞いた。
それでも流石に現代、集落内の道は自動車は勿論バイクも自転車も通れないが、集落の外側で集落の上まで自動車が走れる道が造られていて、集落の上の方には鉄筋コンクリートの大きな建物が建てられていた。
町並み指数 50
参考文献  
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和61年
  日本の地名高知県  平凡社  下中邦彦  1983年

弘瀬港から集落を見る

沖ノ島町弘瀬の道路、これでも道です

沖ノ島町弘瀬の町並

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