四国中央市(旧川之江市)金田町金川は愛媛県の東端、四国山地法皇山脈北麓に位置する。 古来より交通の要衝で、阿波街道と土佐と川之江を結ぶ土佐北街道が交わるところに発達した街村であった。 江戸はじめは松山藩領、寛永13年(1636)川之江一柳家領、寛永20年(1643)幕府領松山藩預かり地、宝永元年(1704)からは西条藩領で明治を向かえる。 宝暦5年(1755)では家数130・人数600。天保13年(1842)には家数165・人数704とある。明治初年に編纂された「宇摩郡地誌」によると村の広さは東西30町・南北1里10町、家数216・人数1,027・牛86・馬5とあり、物産は半紙・ゴボウ・うどん粉等とあるから、川之江の有名な物産の和紙漉きは、まだ軌道に乗る前の状態だったようだ。 この地の和紙漉きの歴史は比較的新しく、販売用の和紙が漉かれたのは明治になってからである。農家の副業から次第に専業化し、明治後期になると機械化に成功したことが、その後の製紙業の大発展に繋がる。そして今では日本を代表する製紙地帯となっている。 古くから交通の要衝であったのは今も変わらず、この地で松山自動車道・高松自動車道・徳島自動車道・高知自動車道と四国を繋ぐ自動車道が全てこの地で合流している。 今、古い町並みは旧阿波街道と旧土佐北街道の交わる辺りで展開している。その家並みの中心は伝統的な様式で建てられた家屋の造り酒屋さんの建物。丁度お誂え向きに、両街道が交差するところに位置している。中2階建て・入母屋造り・本瓦葺きの重厚な建物に大きな杉玉が揚がっている主屋を中心に、白漆喰に塗り固められた酒蔵がそれに続いている。 町並みは南の山間部から平坦部のかかる一帯で、旧街道は緩やかに屈曲し、その両側に伝統的な様式で建てられた家屋が連なる。 只、その三叉路辺りに松山自動車道の無粋な橋脚があり、どうしても写真に入ってしまい興ざめの感は拭えないのは残念です。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 愛媛県の歴史散歩 山川出版社 愛媛県高等学校教育研究会 1996年 |
金田町金川の町並み |
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