さぬき市津田町津田の町並 
津田町津田
地図


津田町津田の町並
 さぬき市津田町津田は香川県東部、北東は瀬戸内海播磨灘に面し、北西の虎ガ鼻から南東の鵜部岬にかけて津田湾沿いに砂浜が続く。今回訪ねたのはその内でも津田川河口部右岸の地域である。
近世はじめは生駒氏領、寛永19年(1642)からは高松藩領。村高は「寛永17年(1640)生駒氏惣高覚帳」563石余、「貞亨元年1684)高辻帳」451石余、「天保郷帳」887石余、「旧高旧領」897石余。天保9年(1838)「御巡見諸事書出帳」によると家数771・人数3,056、牛103・馬6、猟船166、漁夫35、漁引網72・地引網12・立網27・こち網50・ながし網57・中高網1・ナマコ網9・蛸壺21。
高松城下から阿波国に至る東讃浜街道が地内中央を通り、「讃岐国名勝図会」に「高松より五里、富商大買多し、農夫あり、工あり、寺院あり、人家軒をならべて一都会なり」とあるように、農漁業で賑わい、諸国廻船も寄港する港町としても発展を遂げた。
他に酒造・綿栽培・砂糖生産が行われていたが、特に砂糖生産と漁業が盛んで、砂糖会所も設けられ砂糖廻船も出入りした。漁業では鯛・鰆をはじめ魚種も多く、中でも海鼠腸は珍重されていた。
明治7年「人民印鑑届」によると、農業172・農業兼漁夫51・漁夫229・船乗渡世91・商業131・諸職128・その他279とあるように、農業・漁業・商業で成り立った町であったようだ。
旧東讃浜街道に沿った町並に続く南東部に、景勝地として有名な津田の松原が広がる。慶長年間(1596〜1615)津田八幡宮の別当常楽坊の僧や氏子たちが植えたと伝え、「寛永国絵図」ですでに松原が描かれている名勝の地であった。
今、津田の町並をあるくと、繁栄していた当時の面影が色濃く残っている。伝統的な様式で建てられた商家の建物が連なり土蔵が点在する。入母屋造り・切妻造り・本瓦葺き・中2階建て・2階建てで、漆喰塗り込めの虫籠窓を残した家屋も多く見られるなかなか見応えある町並であった。
町並指数  40
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  香川県の地名  平凡社  下中 弘  1989

津田町津田の町並

津田町津田の町並

津田町津田の町並

津田町津田の町並

津田町津田の町並

津田町津田の町並

津田町津田の町並

津田町津田の町並

津田町津田の町並

津田町津田の「津田の松原」
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