西日本の最高峰石鎚山を仰ぐ水の都西条市は県の東部に、その最西端に氷見は位置する。 江戸時代を通じて西条藩領に終始し、慶安元年(1648)伊予国知行高郷村数帳に、氷見村は1,697石余りもある大村であるが、その後の干拓によって更に増え、村高が2,993石余りにもなっている。 金毘羅街道が東西に通じる在町で市街地を形成していた。南の山間部の林産物を集散し、西条奉書紙の産地として楮皮座が設けられ、楮皮の集散でも賑わっていた。 北部を流れる中山川を木材や諸産物の積み出し船が上下し、河畔には番所や問屋があり、市街地には木問屋十数軒があって、木材の取引が活発に行われていた。 寛文7年(1667)の「西海巡見志」に家数320・船数13艘、天保13年(1842)の「西条誌」には家数575・人数2,184、明治初年の「伊予国新居郡地誌」には家数762・人数3,184とある。 今、西条や氷見の海岸は埋め立てられ大工場群で占められているが、国道11号線より山側(南側)は開発に取り残されたように、旧金毘羅街道(讃岐街道)沿いに古い町並みが残っていた。旧街道に面して建つ建物は殆ど入母屋造りの建物で、農村集落に近い感じの町並みであった。そんな中にも造り酒屋が健在で、古い町並みを色濃く構成していた。瀬戸内に面した町並みには本瓦葺きの家屋が多いのだが、殆どが桟瓦葺きに変わっていたのにはチョット以外に感じた。また湧水が噴出しているところがあり、金毘羅さんを目指して進んできた旅人や街道を行く旅人の休憩場所となっていたのだろう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |
氷見丙の町並み |
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