越知町越知は高知県の中央西部、仁淀川の中流域に位置する。 江戸期は土佐藩領。近世の越知村の村高は寛永検地帳583石余、寛保3年(1743)の郷村帳では570石余、「天保郷帳」591石余。 「土佐州郡志」では村の規模は東西30間余・南北1里余で家数198とある。寛保3年(1743)の郷村帳によると家数196・人数857。享和元年(1801)の「西郷浦山分廻見日記」によると家数299・人数1,530。 当村には松山街道が通っていたが、藩は佐川本村以外での商工業を禁止したので、越知村では仁淀川の水運の他には2〜3軒の日用品店と魚介類の行商のみに制限されていた。しかし、明治に入り禁止されていた商売が解放され、高知市中から各種商店・商人が殺到した。明治12年頃には商家が松山街道に沿って軒を連ね、佐川村の衰退を横目に新興越知町街を形成した。明治24年の家数788・人数3,484で、近郊地域の物資集散の中心地となり市街は活気を呈した。しかし町としての物産が少なく、製紙業や養蚕業が少し栄えた程度だった。 当村には松山街道の送番所が設けられ、番頭一人が置かれ往還渡船一隻があった。 今、古い町並と云えるほど伝統的な家屋の連なりは残っていないが、それでも旧街道筋と思える伝統的な様式の家屋が散見できる町並であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名高知県 平凡社 下中邦彦 1983年 |
越知甲の町並 |
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