大洲市新谷町は愛媛県中西部の大洲盆地の北東部、肱川支流の矢落川沿岸の沖積地に位置する。 寛永19年(1642)大洲初代藩主加藤貞泰の遺領六万石のうち一万石を、次男の直泰が分知して新谷村に陣屋を建て、新谷藩を立藩し、31軒の侍屋敷を設けた。それ以後廃藩まで九代230年にわたって治世にあたった。 元文5年(1740)の「大洲秘録」によると、侍屋敷は83軒にもなっている。侍屋敷の拡大につれ、その南側に町人町が建設された。東から上之町・中之町・下之町が形成された。「寛政元年御巡見御案内ニ付手鑑」には町人家数134・人数725とある。 明治初年の町家の新谷町の家数は122・人数483とあり、職分は商業89・雑34・工14・酒造4・売薬店3・医1とある。物産は清酒・酢・醤油・油・蝋燭・蝋などであった。 今、古い町並みは旧大洲街道沿いに展開している。中2階建て平入り、漆喰塗込めの虫籠窓を残した豪商だったであろう建物も残る。殆どの家屋は2階建て平入り桟瓦葺、切妻造りの街道に沿った商家建物で構成されている。かっては格子も備わっていただろうが、今は全てガラス戸に改造されている。 陣屋町として発展した所だが、旧街道筋を見る限りは、在郷町・宿場町のような印象を受ける町だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |