長浜は愛媛県の中西部、肱川河口の右岸に位置する。 「大洲日記」には元和年間(1615〜24)までは「御屋敷もなし、洲崎表に差出、あし多くしげり」「何れの村共なく古へより離有し也。郷分郡分にも見えず」とあり、人家もない葦の繁った荒地だった。 元和3年(1617)伊予国大洲に入封した加藤貞泰が当地を城下の外港とし、御船手奉行・長浜大目付などの役職・役宅を置いた。それ以後大洲城下や肱川上流と水運で結ばれ、農林産物や特産品を集散する港、諸国との交易港として発展し、市街地が形成されていった。 寛文7年(1667)の「西海巡見志」には「川湊有西風悪し百以上の船百艘かかる」とあり、家数208、船数71艘、加子数291とある。 大洲藩は当地を城下の准町として取り扱い、大幅な商品売買を許したため、藩内諸商品と近隣諸藩の廻船・出入り船による活発な商取引が行われ、本町通りを中心に商店街が形成されていた。 また当港は商港であるとともに漁港でもあった。「西海巡見志」では漁船25艘を持つ伊予灘屈指の漁港で、江戸期を通じて鯛網2帖・鰯網3帖が特許されていて、他の漁獲も多かった。 天明6年(1786)の長浜町図によると家数538、推定人口2,152とある。明治初年の「伊予国喜多郡地誌」には家数475・人数1,889、内士族180・商170・工38・酒稼3とある。 商店街の町並みは江戸時代と同じ本町通りを中心に展開している。大正期から昭和初期に建てられたと思われる家屋が多い。その一本海側の通りには、明治期に建てられたと思われる家屋が点在し、古い町並みを形成していた。漁師町でもあるのだが、漁師町の風情は余り感じられず、かって商業地として賑わっていたのだろうが、今はひっそりと静まり返った町並みであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 愛媛県の歴史散歩 山川出版社 愛媛県高等学校教育研究会 1996年 |
長浜の町並み |
長浜の町並み |
長浜の町並み |
長浜の町並み |
長浜の町並み |
長浜の町並み |
長浜の町並み |
長浜の町並み |