中土佐町久礼の町並み 
久礼
地図


久礼の町並み

 中土佐町久礼は中土佐町の中心都市で、高知市国道56号線に沿って西南約50kmの久礼湾に面して位置している。江戸時代から漁業が盛んで鰹漁が行われていた。江戸時代を通じて土佐藩領で、久礼本村といい村方と浦方からなっていた。
「土佐州郡志」には本村の家数353・人数1,600。寛保3年(1743)の郷村帳では家数570・人数2,153・漁船7隻とある。天和3年(1683)の浦々諸廻船水主員数改によると、水主176・漁船10・廻船37。宝永7年(1710)の下灘浦々縮書では家数185・人数786。享和元年(1801)の「西郷浦山分廻見日記」によれば浦方家数204・人数812で市艇4・漁船7・生魚櫓船1・鰯網4・大魚網2・手操網3・諸漁船20・エデ取網7とあり、廻船はなかったようだ。天保年間(1830〜44)の浦々諸縮書によると、家数217・人数1,034とある。
「西浦廻見日記」によると、港は川港ながら廻船の出入りできる港であったが、18世紀後半には川砂が溜まって廻船の出入りに難渋するようになり、以後漁船のみ出入りし漁港として機能していたようだ。
文化年間(1804〜18)の「南路志」によると久礼浦の家数179・人数734とあり、寛保年間僅か7隻であった漁船が51隻と24張の網を保有するまでになっている。
近代に入り漁業の中心はやはり鰹漁であったが、産物の中心は林産物であった。港が浚渫され、木材・木炭は大阪・堺に、黒竹は神戸に移送していた。
古い町並みは旧中村街道沿いに展開している。現役の造り酒屋西岡酒造辺りから始まり善教寺近くで折れて海岸に向かい大正市場を過ぎて海近くで終わる。西岡酒造辺りは寂しいほど人通りが少ない旧街道筋ですが伝統的な様式の家屋が連なり、いい感じの古い町並みを展開している。
それに引き換え、町をあげて宣伝に努めている大正市場辺りにも古い町並みが展開するが、こちらは観光客で溢れている。
この辺りの伝統的な建物は切り妻造り平入りが多いが、入母屋造りの家屋も散見でき、海岸が近いのに漆喰塗り込めで虫籠窓を備えた家が多く、土佐東部の家屋とは異なった感じで、何処となく大阪・京都方面の家屋と似た感じがする。過去にこの地と上方の交易が密だったからだろうと思われる。
町並み指数 40
参考文献  
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和61年
  日本の地名高知県  平凡社  下中邦彦  1983年

久礼の町並み

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