訪ねたところは室戸市元が正式名称だが、新村と云われるところである。元には海岸沿い東から岩戸・落地(現上の内)・脇之浜(現脇地)・行道(当)・新浦(現新村)の集落があり、北側の山中に西川・向江等がある。 江戸時代を通じて土佐藩領であった。「土佐州郡志」には新浦4、脇之浜28、西川4、落地14、岩戸11の家数が記載されているが、行道村は村名のみで家数の記載が無い。寛保郷帳によると家数106・人数454とある。 寛政3年(1791)の浦分改帳によると家数10・人数52が漁船5艘・地引網・磯立網各一を使って漁業に従事している。港は無く行当岬に船を引き揚げていて、磯周りと沖合の小規模な漁業だが、天保年間(1830〜44)と考えられる浦々諸縮書では家数15・人数95。弘化4年(1847)の上灘諸浦調査では家数21・人数115と着実に増加している。 その後も小規模な漁業を主な生業とした寒村で推移していたようで、明治24年の元村の家数317・人数1,519からも察せられる。 この元村を訪ねたのは防風のための石垣の集落を見るためである。家屋の海側は全て高い石垣を巡らした集落は重々しくも自然の猛威に立ち向かう人の儚い抵抗のように感じてしまって、何故か寂しく感じる。過疎集落のためかも知れないがこれだけ取材(撮影)している間に、一人も住人を見かけなかったし、既に無住になった家も多く哀れを誘う集落であった。 積まれた石垣も年々減少しているようで、コンクリートの擁壁に置き換わっていく過程のようだった。 それと、この石垣がどうして黒く成るのか、石垣だけじゃなく最近造られたコンクリート擁壁も黒くなっている。多分台風時の暴風雨で海水を含んだ水しぶきが石垣やコンクリート擁壁に付着し、そのミネラル分や養分で石の表面が黒くなるのだろうと想像するがどうでしょう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名高知県 平凡社 下中邦彦 1983 |
元(新村)の町並み |
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