高岡と云っても行政区は室戸市室戸岬町であるが、地元に行けば高岡で結構通用する小さな集落であった。 平安時代の初め、空海は室戸岬に最御崎寺(東寺)、行当岬に金剛頂寺(西寺)を建てられ、それらの寺が勅願所となり、この地方はその勢力下に置かれた。 江戸期には室戸岬の西側の津呂・室津湊では鯨漁・鰹漁で漁業の町として栄えていたが、岬の東側では湊も無く、段丘下の帯状平地での農業に依存し、僅かな磯漁のみであった。 江戸初期には東寺村と呼ばれ、江戸時代初めに津呂村が分離したので、高岡は三津・坂本とともに三津村と呼ばれるようになた。その後、津呂湊の鯨漁・鰹漁による発展に伴い坂本が津呂村に吸収され、三津村は三津と高岡だけになった。 天正15年(1587)の東寺地検帳によると、村域内の居屋敷は52筆を数えるが、給人・有姓の者は一人も見えず、その後長宗我部元親に従軍する名主クラスの農民も出なかったようだ。 三津湊は享保3年(1718)に津呂村の鯨方多田助之丞によって開削され、その後延享元年(1744)・文化13年(1816)と鯨方の手で改修が行われたが、嘉永7年(1854)の大地震で港が浅くなり湾口の岩礁が隆起して以来、昭和初年まで廃港となっていた。 今では三津漁港・高岡漁港を中心に、遠洋漁業・定置網漁業の港となっている。 訪ねた高岡集落も小さな集落で国道55線沿いに並んでいる。どの家も高い石垣やコンクリート塀を家屋の東と南に廻して、台風の暴風雨から家屋を守っている。石垣やコンクリート塀では未だ防風が不足なのか高い樹木が塀の前や後に植えられていて、外側からは家が殆ど見えない。見えても屋根だけである。随分と台風の暴風雨には痛めつけられるのであろう。 かっては石垣だけであっただろうこの防風の塀も今では随分多くがコンクリート塀になっていた。石垣集落と云われているが、砦集落の様相であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名高知県 平凡社 下中邦彦 1983 |
高岡の町並み(石垣) |
高岡の町並み(石垣) |
高岡の町並み(石垣) |
高岡の町並み(石垣) |
高岡の町並み(石垣) |
高岡の町並み(コンクリート) |
高岡の町並み(コンクリート) |
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