穴吹は物資の中継地として機能し、穴吹川河口と吉野川本流を利用しての穴吹河湊があり、物資を徳島へ輸送していた。 穴吹村の江戸時代は徳島藩領であった。穴吹村は穴吹川の谷口集落で、穴吹川上流村々の人々が生活必需品や農具をなどを整える場所として機能していた。 寛文7年(1667)の人数家数改帳によると、家数75・人数444とあり、付紙に明暦2年(1656)〜11年間で家数13・人数73の増加との注があり、商人・紺屋・鍛冶屋も含まれ、郷町化していたことが伺える。文政11年(1828)の美馬郡村々取調帳で村の規模は東西19町・南北10町、家数194・人数957とある。嘉永2年(1849)の村中呼出帳によると家数232とある。 今、古い町並みは古い穴吹川に沿って奥地に向かう道と、古くからあった国道492号線に沿って展開している(最近できたバイパスの国道492号線ではない)。 古くから奥地に通じる道に沿っては中2階建ての建物が、古い国道492号線に沿っては2階建ての家が並んでいる。両方の町並みを較べると、建築年代が異なることが歴然と判別できる。 古くからの細い道に沿った中2階建ての家屋は虫籠窓も備わり、江戸から大正にかけて建てられたものが多いと見えるが、古い国道492号線沿いの2階建ての町並みは昭和に入ってからの建物だろう。 重層卯建の建物が多くある貞光が隣町であるのに、この穴吹では重層卯建も袖卯建も見られない。僅かに袖壁を備えた家があった位である。脇町と貞光の商人が競って卯建を揚げたのを穴吹の商人は横目で見ていたのか、それ程商業が発達しなかったのでしょう。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 香川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989 |
穴吹町穴吹の町並み |
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