吉野村は江戸時代に吉田藩が造った町である。 伊予と土佐の境界に近いこの土地に、吉田藩が交易のために、元禄7年(1694)山方物産の集散地として在町を建設したものであり、以後明治中期まで大いに繁栄した。 明治7年の記録によると、その町割りは中央に道幅3間の大通りがあり、両側に間口4間・奥行16間の町家が整然と地割されていた。 江戸期から明治中期に在町として発展したこの地区も、山地特産の生蝋・晒蝋・和紙・楮・三椏・櫨などの需要減退と大正12年の宇和島鉄道(現JR予土線)の吉野生駅の開設など近代交通の発展により、在町としての機能を隣の松丸や宇和島に奪われ衰退していった。 町の職業は問屋・仲介・雑貨商が主で、酒造・旅館もあった。 今、古い町並みは、国道381号線沿いに展開している。旧街道がそのまま国道になったのに古い町並みが残っている。醸造されていないようだが造り酒屋さんの中2階建て漆喰塗り込めの虫籠窓・千本格子のある家屋も残っている。伝統的な様式の家屋は中2階建てが多いので様式からみて江戸時代末期から明治初期の建築だろうと思われる。 同じ松野町に宇和島藩によって造られた松丸と吉田藩によって造られた吉野の町が隣り合わせにある。 共に土佐との交易を目的にした物資の集散地として造られた在町である。明治中期まで共に繁栄していたのだが、こんなところにも宇和島藩から分かれた吉田藩との間の確執が明確に見てとれる。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980 |
吉野の町並み |
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