松丸は松野町の中心集落で、この町並みの近くに現町役場がある。 江戸期を通じて宇和島藩領で土佐藩領との境界の要衝として重視されていた。松丸には河後森城という中世の古城があった。豊臣秀吉の四国征伐で藤堂高虎によって滅ぼされたが、この地では中世から楽市楽座が実施され繁栄していた。近世になり宇和島藩は土佐藩領との境界の重要性を考慮して積極的に在町を形成したので大いに繁栄し、番所も設置され、宇和島藩川原淵組の中心地、在郷町・宿場町として発展した。元録頃には酒造家3軒、製蝋業者などもおり豪商が存在し、幕末から明治にかけて商工業が発達し、酒・油・蝋の取引のほか菜種仲買人もおり、松丸名産として素麺があった。 「大成郡録」では家数52・人数286とあり、明治に入ってからの「宇和郡地理全志」によると家数135・人数542とある。 松丸の古い町並みはバイパスになった国道381号線から離れた旧松丸街道沿いに残っている。かっての豪商の家屋も残り、造り酒屋の大きな母屋も酒蔵も現役で残っている。緩やかに自然湾曲した街道に沿った町並みは明治時代を彷彿させてくれる素晴らしい光景である。町並みの家屋は江戸期・明治期・大正期・昭和期建築と入り混じっているが、あまり現代的な建築が目立たない落ち着いた町並みを展開していた。 最近設置されたのだろう松丸街道と書かれたお店の表示を兼ねた看板はチョット頂けない。旧松丸街道と書かれていれば抵抗なく受け入れられるのだが。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980 愛媛県の歴史散歩 山川出版社 愛媛県高等学校教育研究会 1996年 |
松丸の町並み |
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