松前町浜の町並み 
 浜
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浜の町並み
 松前町(マツサキ)浜は松山平野の南西端に位置し、加藤嘉明が松山に城を移すまでは城下町として栄えていた。
文禄4年(1595)淡路志賀城の加藤嘉明が伊予国で6万石を得て、松前城にはいった。毎年繰り返される洪水の被害から松前城を守るため堅固な堤防を築くなどの治水工事に手腕を発揮した。
嘉明は慶長2年(1597)秀吉の朝鮮再征の勲功によって、10万石を与えられ、続く慶長5年(1600)の関ヶ原戦いには東軍に組して、徳川家康から一躍20万石に取り立てられた。
そこで20万石に相応しい広大な城地を松山に求めて築城し、慶長8年(1603)に新城松山城に移転し、松前在城は9年間で終わった。
城下町松前が家中も商家も松山に移ったので、松前は純然たる一寒村となった。しかし、嘉明は松山城での日々の魚類の調達を松前漁民に命じたので、漁民は順番に城主の食膳にのせる魚を献上した。そのため松前漁民は松山領の海域は何処でも勝手に漁が出来る特権を与えられた。そして日々獲れた魚は松前の女たちの松山への行商によって消化され、松前の売魚婦は「松前のおたた」とよばれた。
それとは別に、嘉明の松山築城のとき、彼女らは城壁の石を桶に盛り、一日に何回となく松前から松山までの10kmの道を運搬したので、その後、領内何れの土地で行商してもよいと云う特権を与えられていた。
伊予鉄郡中線松前駅の西側を通る県道326号線のさらに西、県道22号線や県道214号線の更に西の地域は開発から取り残されたように町並みが残っている。南北に規則正しく通った三条の道に沿って町並みが展開している。町並みの中に住吉神社があるので、この町並は江戸時代から続く町並みと思われ、江戸末期から明治にかけて建てられたと思われる建物も多く見られる。この地の商業を支えていた行商によって成り立った町並みと思われ、なかなか見応えのある町並みだった。
町並み指数 40
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和56年
  愛媛県の地名  平凡社  下中邦彦  1980年

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