今回訪ねた明神集落は江戸時代には川東村といい、土器川上流右岸に位置し、標高400mから700mの山地である。土器川の本流と明神川が落合う地にあって、阿波からの峠道は全てここに集まり、讃岐に通じていた。阿波と讃岐を結ぶ宿場町として賑わい、物資の集散も盛んであったが、交通路の変遷によって、今は昔の町並みを僅かに残すだけの集落になった。 賑わっていた当時、盛んに行われていた物資の交流には、阿波からは撫養塩や徳島の雑貨が、讃岐からは阿波葉(たばこ)と米が、馬の背に積まれて峠を越えた。 明神集落をはじめとした川東村は小さな山間集落が多くあり、文政元年(1818)では家数289・人数1,101とある。明治8年頃の家数320・人数1,472であった。 今では集落内では、かっての物資集散地や宿場町としての面影は、街道に面した建物にその面影が残る程度である。こんな山間部の小さな集落に時計屋さんがあったり、化粧品販売店・豆腐屋・家庭電化製品販売店があったりと、商店が並ぶ姿に昔の賑やかだった当時の面影が残っている。 小売業を営んでいた当時の建物がそのまま残っている。込み合った建て方でないので、切り妻造りと入母屋造りが混じり合っているが、全て平入りの形式だ。建築年代が江戸・明治・大正・昭和と跨るので、平屋・中2階建て・2階建て・中には鉄筋コンクリート造りとバラエティに富んでいる町並であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 香川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1989 |
川東の町並み(雑貨屋さん) |
川東の町並み(タクシー会社) |
川東の町並み |
川東の町並み |
川東の町並み |
川東の町並み |
川東の町並み |
川東の町並み |
川東の町並み(時計屋さん、化粧品も) |
川東の町並み(豆腐屋さん)売り切れの表示が |