久万高原町久万は愛媛県中南部、四国山地の標高400m位のところで、仁淀川の支流面河川の更に支流久万川上流域に位置する。 江戸期は松山藩領。村高は「慶安郷村数帳」では250石余、「元禄村浦記」250石余、「天保郷帳」262石余、「旧高旧領」263石余。「久万山手鑑」による寛保元年(1741)頃の村勢は、家数191・人数1,322、馬66・牛4。 久万村は松山から三坂峠を経て高知に至る土佐街道の宿場町、また四国霊場八十八ヶ所第44番札所の菅生山大宝寺の門前町、久万山26ヶ村の在郷町として繁栄、久万代官所や紙上御用場が置かれていた。宝暦12年(1762)の「俚諺集」には町並は数多くの家が並び豊かで、茶の名産地であるとあり、商業が栄えていた様子が書かれている。 「浮穴郡地誌」には、村の広さは東西25町余・南北12町余、家数224・人数762、馬9・牛16とある。 明治34年の家数534・人数1,794とある。 今、古い町並は旧土佐街道に沿って展開し、商店街を形成している。国道33号線(土佐街道)はバイパスとして町の西側を通っていて、旧街道沿いの町並は保存されたようになり、比較的多くの伝統的な建造物が約1km程の長さに亘って残っていた。その中には2軒の造り酒屋さんや醤油醸造所も残っていて、それらの建物が町並景観に大きく寄与していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 愛媛県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 |
久万の町並 |
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