この地は古代から笠居郷とよばれ、香西は香川郡の西に位置することからの由来すると思われる。 嘉祥年間(848〜51)当地の守護に任じられた新居資村は香西氏と称した。香西氏は香川郡の西の笠居郷が本拠で、佐料城を居城とし、勝賀山に勝賀城を築いていた讃岐を代表する中世武士である。 香西は鎌倉初期に香西氏によって開かれた町で、香西浦での漁業が盛んであって、有事にはそれらの漁夫が水軍として活躍した。 笠居村は江戸時代はじめは生駒氏領であったが、寛永19年(1642)からは高松領となり、宝暦12年(1762)の切支丹宗門改帳では人数1715人であった。 享保17年(1732)香西浦漁夫の家数は363軒・人数1588人であって、天保7年(1836)の「四国遍路道中雑誌」に香西浦は「人家凡千軒も有べし。農家漁家入接、綿并粉類を製す。少しの船間も有って随分繁華の場所にして、商戸多有の地なり」などと記されている。 香西の南東部には丸亀街道が通り宿場町でもあった。 「香西はむきむきの町」といわれ、家々の向きが整然としていなかったのだ。中世、香西氏の水軍の要塞基地であったからだろう。道路は迷路のようで、袋小路やかぎ型に折れていて、角を曲がるたびに行き止まりや、突然海が見えたりする。 赤レンガの煙突は醤油屋のもので、モロミの匂いが立ち込めていたり、港に沿っては廻船問屋の大きな屋敷も残っていた。 この港に沿った古い町並みから、まっすぐに香西寺に向う参道の両側にも、時代に取り残されたような店が軒を連ねていた。 香川県の歴史散歩 山川出版社 香川県の歴史散歩編纂委員会 1996 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 四国小さな町小さな旅 山と渓谷社 山と渓谷社大阪支局 1999 香川県の地名 平凡社 下中 弘 1989 |