高知市玉水町他の町並み 
玉水町・上町1丁目
地図


玉水町の町並み

 玉水町は高知市街南部を東流する鏡川の左岸(北岸)で、高知城の西南西に位置する。
江戸時代は石立村と言われていた地域だが、人家は殆どなかったのだろう。この石立村は鏡川の両岸を占めていて、村の北端を城下上町より西方に向かう土佐街道(西街道)が通っていた。
江戸時代を通じて土佐藩領であった。「土佐州郡志」には「東限潮江川、南限神田、北限杓田川畔、東西15町南北16町」「その土赤黒雑砂」と記されていて、鏡川の流す土砂の堆積により形成された平坦地である。
寛保3年(1743)の郷村帳によると、家数103・人数445とある。
藩政時代の土佐では、芝居や料亭などは行われていたが、正式に許可されていなかった。それが明治に入りその禁制が解かれたので、鏡川畔にお茶屋町・玉水新地ができ、奴楼や芝居小屋が活気を帯び、毎夜三味線や鼓の音が鳴り響いた。
玉水町は戦災でも被災しなかったので、往時の面影が色濃く残るというよりも、一部は今に続く現役の花柳街である。旅館の看板を揚げている店の前には椅子が置いたある。訪ねた時にはどうしてと思ったが、後で調べるとその椅子に座った婆さんが、お客を呼び込んでいるらしい。
町並みも当時のままの伝統的な様式の建物が数多く残っている。どの家も旅館の看板が揚がっているが、かっての奴楼であり、用水路に沿った樹木とともの風情ある光景が展開していた。
昭和5年には貸座敷27軒、娼妓は224人もいたとある。(全国遊郭案内)ので、随分と繁栄していた花柳街だったようだ。
町並み指数 30
参考文献  
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和61年
  日本の地名高知県  平凡社  下中邦彦  1983年

玉水町の町並み

玉水町の町並み

玉水町の町並み

玉水町の町並み

玉水町の町並み

玉水町の町並み

玉水町の町並み

上町1丁目の町並み

上町1丁目の町並み

上町1丁目の町並み
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