高知市北本町は高知市内中心部、江ノ川北岸に位置する。 江戸期は江ノ口村の一部であって、江ノ口川を挟んで高知城下の北にある。江ノ口村の村名は山内藩主になってから付けられたようで、古くは海潮の侵す地であったという。 江戸期を通じて土佐藩領。村高は寛永検地帳1,284石余、寛文7年(1667)の郷村石付でも同高、寛保3年(1743)の郷村帳1,440石余、「天保郷帳」2,092石余。寛保郷村帳によると家数258・人数1,301、馬29・牛9。 「土佐州郡志」によると江ノ口村は東西40町、南北12町で、村域は全て平地。比島村も含んで家数は500とある。集落は江ノ口川北側の大川筋、愛宕道沿い、村の南西部にあたる洞が島辺りに集中していた。なお大川筋は殆ど武家屋敷となっていた。 今回訪ねた北本町は、JR高知駅前を東西に延びる大道路によって、当地が将来同市北部の中心街になるとの予想によって昭和11年に命名された名前。と云っても北本町4丁目や南金田町は太平洋戦争後も周囲一帯はのどかな田園地帯であった。 そこに戦後、藁製品の備蓄販売のための、白漆喰の土蔵群が建てられ、「藁工倉庫」といい親しまれてきました。しかし各種様々な開発の波に飲み込まれ、高知でも古い建物などの高知遺産が次々と失われていきました。 そんな時に、この歴史ある倉庫群を「高知県民立アートセンター」アートゾーン藁工倉庫として再生利用しようという運動が起こり、いろんな団体に利用され、13棟の漆喰白壁の倉庫群が残ったのです。 古い町並と云う訳ではありませんが、高知市の建物遺産として、何時までも保存活用されるように願って探訪を終えまた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和61年 日本の地名高知県 平凡社 下中邦彦 1983年 |
北本町4丁目の旧藁工倉庫群 |
北本町4丁目の旧藁工倉庫群 |
南金田町の旧藁工倉庫群 |
南金田町の旧藁工倉庫群 |
南金田町の旧藁工倉庫群 |
南金田町の旧藁工倉庫群 |
宝永町の旧藁工倉庫群 |
南金田町の旧藁工倉庫群 |